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長距離縦走、クリーンハイクなどお馴染山中渓駅から出発します。いつものレポート担当のジャンケン |
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駅から少し大阪寄りに行ったところに紀州街道入り口があります。駅までの集落内の道が石畳できれいに整備されています。 |
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中ほどに白壁の大きな屋敷
旧庄屋屋敷(江戸時代中期)で現在も住んでおられる。
その他この一角はとてもきれいにしておられ、街道を守っていこうという自治会の心がとても感じられました。 |
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山中関所跡
泉州から紀州へ入るときの関所
江戸時代にはもう廃止されていたそうです。 |
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雄ノ山峠への中頃、阪和道の下に境橋があり、日本最後の仇討ち場とあります。仇討ち赦免状を正式に受けたものと説明があります。(紀州を追放された相手をここで待ち受け討ったという) |
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中山王子跡 JR阪和線の踏切の横 |
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峠の不動明王
雄ノ山峠でどこだろうかと探していると山側に小さなお地蔵さんのような祠でした。 |
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山口王子
山中渓駅前から阪和道の下にある国道64号線を歩き、昨年開通した京奈和道のそびえ立つ橋脚の下を過ぎると古道は国道から分かれ、その横にありました。(最初のスタンプ押場) |
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山口神社に至る古い鳥居 |
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そこから100m位住宅の中を進んだところに社殿がありました。 |
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川辺王子跡
ここの他にあと二か所推定の個所があります。 |
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中村王子跡 教育委員会の看板だけがあります。
ここも川辺王子跡と同じく場所がいくつかの説に分かれているようです。説明には熊野参詣道のルートが時代によって変わっていった事によるそうです。 |
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力侍(リキシ)神社
ここも川辺王子跡の候補地
二つ目のスタンプが社殿の中にありました。
周りが田んぼでこの場所だけが社殿まで並木道となって続き存在感がありました。 |
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社殿の掲示板に九十九王子社の図
(実数ではなく数が多いという意味と紀伊路の冊子にも説明があります) |
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国道24号線のバイパスを横切って進んでいくと石柱の道標
「左北大阪」
「根来寺三国一錐鑽(きりもみ)不動尊」 |
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川辺橋にお地蔵様
橋がなかった時代には渡し場があり危険な渡りを守るように祀られたそうです。 |
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川辺橋を渡ってパチリ
向こうに見える山の向こうから歩いて来ました。 |
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今回の最後
吐前(はんざき)王子跡 |
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終点の布施屋駅
「布施屋」の地名の由来は冊子によると、熊野参詣の旅人をこの地の人々が接待したことによるということです。
接待=お布施 (ほどこし⇒ほしやと呼ばれるようになった?)
歩行距離14.6km |