例会A-1024      2018年12月15日(土)
    
熊野古道紀伊路⑥
「紀伊内原駅~西御坊駅」


 
    参加者:13名    

コース
タイム

紀伊内原駅(920)⇒善童子王子(1010)⇒愛徳山王子(1030)⇒道成寺(1050)拝観と絵解き
説法、昼(
1220)⇒海士王子(1230)⇒野口新橋(1310)⇒岩内王子(1340)⇒塩屋王子
1430)⇒天田橋南詰(1455)⇒西御坊駅(1515


                                          (by:Iwahashi)  
  紀伊内原駅出発
  善童子王子
「連同持」「田藤次」「善道子」「出王子」「出童子」「富安王子」などの別名があり、王子社の中でも最も多いという。
いずれも富安(その付近の地名)以外は音が似た言葉の漢字の当て字になっている。
  愛徳山王子への案内矢印が民家の壁に危うく見過ごすところ
  こんな竹林を進んでいくと
  愛徳山王子がありました。
  道成寺正面山門(仁王門)
左右に大きな仁王様の木造
(現存しているのは江戸時代に再建されたもの)
  道成寺正面山門(仁王門)
  正面の本堂
(現存しているのは
1357年頃の竣工、その後現在までに何度か解体修理されている)
  右手に三重の塔
(江戸時代
1764年に再建)
  中央の層には清姫伝説にちなんでいるのか、屋根を支える梁組の端が蛇の頭になっている総檜造り
  国宝の千手観音、日光、月光両菩薩他を展示した宝佛殿の拝観と、安珍・清姫伝説を記した絵巻物を使った説法を受け、境内の隅でお昼。
  海士王子 
海士王子周辺は、道成寺創建にかかわった文武天皇夫人宮子の生誕の地(九海士の里)との伝承があり、「海士王子」に祀られていた御神体の木像は、明治時代に八幡神社に合祀されたときに、道成寺に移され「宮子姫」の像として祀られている。(宝佛殿内の千手観音のそば)
  日高川にかかる野口新橋 
渡し舟の船頭が安珍にお金をもらって清姫を渡さないようにしたので、ここでとうとう清姫は全身蛇の姿になって川を渡ったという伝説をモニュメントに。
  橋の上は強風でしたがみんな元気に。
  岩内王子 
岩内コミュニティ会館前に石碑 
『海士王子のすぐ南のJRきのくに線の踏切を渡り、湯川子安神社の側を通り東南東へ進み、野口新橋を渡ります。日高川に沿って下り、御坊大橋で日高川を渡って最初の王子が岩内地王子です。この岩内王子が文献にはじめて登場するのは熊野御幸記(ごこうき)で 、「河を渡りていわうち王子に参る。此辺りの小家に入る。」と記されています。 旧道に沿った岩内コミュニティセンターの敷地内に王子跡の「焼芝王子神社旧跡」と書かれた石柱が立っています。本来の社地は日高川の中にあったと言われ、岩内王子は焼芝(薬師場)王子とも呼ばれていたからです。也久志波王子とも書き、 明治41年熊野神社に合祀されました。(2007.10.15)  御坊市にある王子跡(御坊市観光協会)』より
  塩屋王子 
塩屋王子神社
  帰りの西御坊駅に向かうため古道と別れてもう一度日高川を渡る。
  西御坊駅
1両のワンマン電車がJR御坊駅とここ西御坊駅とを往復運転していました。
最初はみちくさハイキングクラブの貸し切り電車状態でした。180円

以上本日は14.6km

山行記録へ ページトップへ↑