例会A-1053      2019年3月16日(土)
    
熊野古道紀伊路⑨
「紀伊南部駅~紀伊田辺駅」


 
    参加者:14名    

コース
タイム

南部駅(950)⇒鹿島神社(1005)⇒芳養王子(1110)⇒牛の鼻(1130)⇒天神崎(1205
昼休憩~1240⇒出立王子(1315)⇒潮垢離浜の記念碑(1340)⇒南方熊楠顕彰館(1410
⇒闘鶏神社(1420)⇒紀伊田辺駅(1440


                                          (by:Iwahashi)  
  日のレポート担当を決めて出発
  雨上がりの空が少しずつ晴れて温まり衣服調整(近西国二十八番札所井原観音)
  芳養王子跡がある大(おお)神社
  牛の鼻 
調べてみると、名前は牛の鼻に似た穴の開いた岩があったことからで、ここに刑場があり処刑された人の霊を供養するために建てられた地蔵(叶地蔵)でした。
  天神崎 
風があり白波が立っています。 
熊野古道は天神崎を回っていませんが時間も掛からないのでお昼ご飯を兼ねて来ました。
  風を避けてお昼ごはん
  出立王子跡 
小さな祠 
他の王子社と同様に合祀を経て現在のところに小さな祠が残されて現在に至った様です。位置的にはここからいよいよ中辺路に向かう区切りとなる王子社。
  潮垢離跡顕彰碑 
出立王子跡から海側に下がった道路に面して江川児童公園があり、その中に顕彰碑がありました。昔は出立王子から下に浜があってそこで潮垢離をして中辺路へと向かったと藤原定家の御幸記にも記述があります。ただ、その時定家は夜寒くて寝られず風邪を引き体調が悪くていやだったけれども、先達の大僧侶に言われてやむなく行ったとある。
  本町道標 
会津川を渡って田辺市街の中に入ると、道標が二か所ありました。 
「くまのみち」と「きみゐてら」の表示今回も海岸で昼休憩
  栄通り商店街
  ここのは道分け石と呼ばれている。 
中辺路・大辺路が分かれる所「きみゐ寺」「くまの道」 
乃のような道の草書体?
  旧南方邸 
年(大正5年)からここに住み、1941年(昭和16年)にここで亡くなっている。
2000
年まで長女の方が住まれていたそうです。 横の南方熊楠顕彰館は内装工事中でした。
  闘鶏神社 
熊野本宮大社を勧進して建立された田辺宮が始まり。 
  本宮大社まで行けない人々はここでお参りして帰ったそうです。  
2016年10月に世界遺産に追加登録
  闘鶏の謂れとなった、田辺別当湛増(たんぞう)と弁慶親子、戦っている鶏の銅像。 
鶏を紅白の組に分けて白が勝って熊野水軍は源氏に付くことにし、壇ノ浦の戦いに参戦したという。
  紀伊田辺駅に到着(1440
駅前(及び駅舎?)工事中でした。 

11.9km

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