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慈尊院
世界遺産の記念碑 平山郁夫の書 |
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多宝塔 |
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180町石からスタート
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。 |
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慈尊院から丹生官城省符神社への階段 |
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綺麗な竹林の中を行く |
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柿畑から霧の晴れてきた下界を展望する
(今朝は来る途中濃い霧に覆われていました) |
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鉄塔に向けての坂がキツイ! |
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銭壺石
鎌倉時代の文永2年(1265年)覚斅(かくきょう)上人の発願により、20年という年月をかけて町石道が整備された。 整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承がある。 銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさん銭をつかんでも、手が引っかかって取り出すことは出来ない。 そのため、大きな手の者でも小さな手の者でもつかめる銭の量は、大差なかったと言われている。 |
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木漏れ日の中をすすむ!
足下には、白花しょうじょうばかま |
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六本杉の分岐
古くから見事な杉林があったので、六本杉という名前がつけられたそうです。 |
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二つ鳥居
のぞかな天野の里を望む
江戸時代末期の慶安2年(1649年)に建立された石造りの鳥居ですが、もともとは弘安10年(819年)5月3日、空海が高野山に丹生明神と狩場明神(高野明神)を勧請した際に、神域の入り口として建立したと伝わっています。2基の鳥居は、両神それぞれを遥拝するものと考えられます。
二ツ鳥居より先の町石道は聖なる道となり、昔は木の伐採も禁じられていました。「高野山」は、ここから始まるということもできます。 |
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中間点の90町石
長が~い町石道を
「わいわいがやがや」と、わたしの年齢=私の町石で撮影会に! でも道は長かった! |
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笠木峠 |
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矢立峠(60町石)
「やきもち」ゴチに!うまかったナ!
セリバオウレンの可愛い花 |
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袈裟掛石
55町石の先にある石は空海が袈裟をかけたと伝えられていて、「袈裟懸石」と呼ばれています。 また、馬の鞍を掛けられそうな形をしていることから、「鞍掛石」ともいいます。
この石の下にある小さな穴潜ると長生きするとも言われます。この先は結界が張られた清浄な世界とされます。 |
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展望台からの絶景
龍門山が近くに感じます! |
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鏡石
鏡のようにすべすべしている鏡石も、空海にゆかりの石です。
この石の角に座って真言を唱えると、願いが成就するとも言われています。 |
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大門到着 |
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町石1番石
歩いた距離約21km 標高差788m
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蛇腹路を千手院バス停に向かう
空海は東西に細長い高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容しました。「龍」の頭は壇場伽藍、尾は現在の金剛峯寺の東の蓮花院の辺りとされています。
この小道は腹の部分にあたることから、「龍の腹の小道」が転じて「蛇腹路」と名づけられました。 |
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4代目、新型ケーブルカーに登りました! |
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窓が広くて”いいね” |